
アーケンのホームページでは、家づくりでは、担当する住宅会社の経営者や社員の思い、人柄、スキルなども大切と考え、人物紹介も行っています。今回は2025年にアーケンに加わった中村優佑の独自の歩みを紹介します。
子ども時代:レゴとおじいちゃんの畑

私は、長野県松本市で生まれ育ちました。松本市は人口30万人ほどで、旭川市と近い規模のまちです。天守閣が現存する国宝・松本城のある城下町でもあります。
祖父は農家で、小さい頃はよくおじいちゃんの家で遊びました。納屋の前、畑の脇を走り回り、車のおもちゃで走らせる。そんな日常のなかで、特に私が夢中になっていたのはプラレールとレゴでした。列車が好きというよりも、何かを「作る」ことが好きだった。レゴで街を作り、空間を作り、時間を忘れて没頭していました。この幼い頃の感覚が、今の仕事に繋がっていくことになります。
部活も趣味も全部やる――松本での学生時代

小学校では父の勧めで空手を始めました。スキーも小さい頃から。松本は北アルプスの玄関口で、3000メートル級の山々があります。多数あるスキー場はパウダースノーとスケールの大きさが魅力で、家から近い環境でした。

中学ではバレーボール部に3年間所属。高校に入ると山岳部に所属しながら、空手と地学部も掛け持ちしました。冬はスキーで夏は登山。忙しかったけれど、どれもやりたかった。放課後に電車でスキー場へ行き、終電で帰ってきたり。休日に家から自転車で登山口まで行き、日帰りで2800メートル級の山に登ることもありました。
高校の合宿で、北アルプスを3泊4日で縦走したのも良い思い出です。食料やテントなどを背負って歩き、暗くなったら眠り、まだ暗いうちに起き手星空を見上げる。稜線からの朝焼けは格別でした。地学部では地層や石、星を見たり。今でも登山は好きですし、旭川に移住してからもこの地が盆地になった経緯など、スケールの大きなものへのリスペクトを感じるのは、当時の経験が大きいのかなと思います。
アメリカ留学――人生で一番変わった経験

高校3年の夏、父の会社の奨学金制度を使ってアメリカのミネソタ州に留学しました。カナダとの国境に接するアメリカ中西部の北端。寒い場所です。約10ヶ月間、現地の高校に通いました。
ホストファミリーとの出会いは特別なものでした。その家族は、私と同い年だったはずの長男を亡くしたばかりで、長男が日本が好きだったこともあって日本からの留学生を受け入れることにしたのです。家族の悲しみがまだ癒えないなか、留学生として家庭に入る。複雑な環境でしたが、だからこそ深い絆が生まれたのだと思います。
最初の3ヶ月は英語がわからず、授業で宿題が出たかどうかすら分からない。友達にもまだ言葉が通じない。それでも1年いればちゃんと話せるようになるし、授業の内容もわかるようになって、友人もでき、彼女もできました。やはり高校生の頃はまだ頭が柔らかいんだと思います。
英語で話すとキャラが外交的に変化する?
高校生で留学できたのは人生で一番の転機になったと思います。印象的だったのは、高校生同士で友人の家に集まり、大統領選の討論会を見て議論したこと。ちょうどオバマ大統領の選挙の年でした。日本の高校生にはない光景です。
英語で話すと自分のキャラクターが変わることにも気づきました。日本では空気を読みながらコミュニケーションをするのが日常ですが、英語を使う環境では「言わなくても通じる」というのはあまり無くて、物事をはっきり言う、外交的な性格になります。言語が思考に影響を与えるということを、身をもって体験しました。
「親も一人の人間なんだ」という発見
そして何より、「親も1人の人間なんだ」と思えたこと。ホストファミリーのお母さんが息子と子供っぽい喧嘩をしたり、泣いたり怒ったりする姿を見て、親を「親」という役割ではなく「人」として見られるようになりました。それを自分の両親に対しても感じるようになりました。人生で一番大きな変化を与えてくれた経験でした。
京都大学から脳科学の世界へ
帰国後、京都大学の総合人間学部に進学しました。文系と理系の垣根なく学べる学部です。最終的に取り組んだのは神経科学、いわゆる脳科学の研究。ゼブラフィッシュという小さな魚を使って自閉症の研究をしていました。当時、テレビで脳科学者が話題になっていた頃で、「これから伸びる分野だ」という直感で飛び込んだのです。
「空手」から「茶道」へ
大学時代にはもう一つ、大きな出会いがありました。茶道です。京都でしかできないことをやろうと思い、裏千家の門を叩きました。空手が身体に染み込む感覚を知っていたからか、茶道の「型」にも自然と惹かれたのです。部長も務め、4年生の夏まで続けました。
茶道は単なる趣味ではなく、書道も建築も料理も花も文学も――日本文化のあらゆる要素が詰まった総合芸術です。いくらでも深められるその奥行き。旭川に移住した後、「遠州流茶道 成名庵」の小川宗北先生に師事しています。一般的な茶道教室では、茶道で使うお菓子は老舗和菓子店、会席料理は仕出し、花も購入すると思いますが、小川先生は、自庭で育てる山野草を茶花に、茶事のお菓子や会席料理も手作りされています。北海道・旭川に移住して、このような先生に出会えたというのは、とても幸運だと思っています。
大学時代にも留学をしています。研究を深めようとオーストラリアのシドニーに留学しました。でも現地の大学院生たちの研究への熱量を目の当たりにして、自分の限界を感じました。「この熱量は自分にはない」。研究者の道を断念し、帰国しました。
コンサルティングからリクルートへ
研究者の道でないなら、ビジネスの世界へ。新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニー(McKinsey & Company)という戦略コンサルティング会社に入りました。製薬、自動車、農業、電機メーカーなど業界を問わず、コスト削減から人材戦略まで何でもやらされる環境で2年半。深夜0時半から始まるクライアントとの会議もありました。東京駅前のビルの夜間通用口で守衛さんに「この時間から打ち合わせですか?」と驚かれたこともあります。
「冒険教育」の世界に関心
尊敬できる先輩たちは次々と自分のやりたいことを見つけて辞めていく、平均在籍3年ほどの会社です。私も大学時代から温めていた「教育」への思いが膨らんでいました。大学自体に友人と教育系の学生団体を立ち上げ、商店街や児童館などで子ども向けのプログラムなどをした経験もあったのです。ただ、学校の先生になりたいのとは違う。冒険教育(アドベンチャーエデュケーション)という、自然環境でのキャンプ、登山、いかだ作り、チーム課題などの「冒険的活動」を通じ、自己責任、協調性、問題解決能力を養う体験型教育を行う資格を会社を休んで取得したり、手弁当でスタッフとして参加したりしていました。子供の頃におじいちゃんの畑で遊んでいたり登山をしていた時の経験が、学校の授業よりも自分の土台になっていて、そういう分野に惹かれていました。
リクルートに転職「スタディサプリ」事業で7年
ただ、実際は冒険教育を仕事にしたわけではなく、教育事業が事業面でも展望があると感じたリクルートのスタディサプリの事業部に転職しました。
社会人向け英語学習サービスで、AIが普及する前の時代でしたが、それぞれの苦手な部分を抽出して、そこを重点的に学べるような仕組みで苦手克服につなげていくようなアプリです。
新規事業立ち上げに携わり、1年で300人のコーチを採用・研修するプロジェクトを回しました。その後はプロダクトマネージャーとしてアプリ開発の責任者に。何を作るか決め、エンジニアに設計を依頼し、見積もりを取り、世に出すまでを管理する。リクルートには7年近く在籍しましたが、振り返ると、この「複雑なものづくりのプロジェクトマネジメント」は、多くの人が関わり作り上げていくという、今の住宅の施工管理の仕事にも共通するものがある仕事でした。調べて考えて、仕組みを決めてカタチにしていく面白さがあると思います。
東川町との出会い
コロナ禍で在宅勤務が当たり前になり、神奈川県逗子市に引っ越しました。海から5分。風のいい日は午前中にウインドサーフィンに出かけるような暮らし。
転機は2021年頃。友人が北海道の東川町で、古い建物をリノベーションして、デンマーク発祥の成人教育機関「フォルケホイスコーレ」をモデルにした、大人のための、人生を豊かにするための学び舎を作るということで、私は最初、手伝いにきて関わるようになり、その後建築の担当者として、建築家や工務店とやりとりをしていくという仕事を始めたんです。町や工務店、建築家とのやり取りを経験しました。
魂を燃やせるような仕事を見つけたい
リクルートを退職した時は、次どんな仕事をするのか決めていませんでした。自分が本当に没入できる仕事は何だろう。コンサルで2年半、リクルートで7年。キャリアとしては順調でも、数年経つと「魂を燃やしている」感覚が薄れてきました。過去に心から没入したものは何かあったかと思い返すと、子供の頃のレゴやプラレールに行き着いたのです。
空間を作り、街を作り、夢中になっていたあの感覚。あれに近い感覚で仕事がしたい。考えを突き詰めていくと、「建築」という答えが浮かんできました。
自分の手で家を直す――建築との出会い
まずは自分でやってみよう。東川町近くの当麻町で築50年の古い家を安く手に入れ、全部自分で直し始めました。壁を壊し、断熱材を入れ、床を張り、壁を作り直す。電気工事士の資格も取得して配線工事まで自力で。調べたり、専門の職人さんに教わったり、手伝ってもらったり。
楽しかった。でも、ずっと作業を続けているうちに気づいたのです。自分は手を動かすことよりも、「考える」ことの方が好きなのだと。全部自分でやらなくてもいい。職人さんに任せるべきところは任せて、設計や全体のコーディネートに力を注ぐ方が、自分には合っているのではないか。
施工管理を仕事にしよう・・・その確信を得るために、東京にあるデザイン系のリノベーションを得意にする設計施工会社・ルーヴィス(ROOVICE)さんにお願いして、約1ヶ月、手弁当で現場に入りました。社長の鞄持ちをし、人手が足りない現場で動き、仕事にできる手応えを多少掴みました。その年には東川で結婚もしていたので、北海道に戻りました。
アーケンでの初仕事は、オーストラリアの施主&建築家との家づくり
旭川近辺で面白い工務店を探していました。ネットで見ていて、建てている家が面白いなと感じたのがアーケンでした。東川町の友人が、アーケンで家を建てたお客様と繋がりがあり、そこから藤原社長を紹介してもらいました。
2025年5月にアーケンに入社。最初の仕事が印象的でした。東川町に家を建てるオーストラリア人の音楽家の案件で、設計もオーストラリアの建築家。打ち合わせはすべて英語です。高校時代のアメリカ留学、大学時代のオーストラリア留学、リクルートでの英語教育事業。それまでの経験が思いがけない形で活きました。
2026年3月現在は、剣淵町で、自分で設計からお客様対応、施工管理まで担当する1軒目の新築プロジェクトに取り組んでいます。分からないことは藤原社長や太田専務に確認しながら、一歩一歩進めています。
家づくりは、過去の経験が活かせる
松本で生まれ、アメリカに留学し、大学時代は京都とオーストラリア、その後東京で働き、逗子で暮らし、北海道東川町にたどり着きました。東川は住み心地も良い快適な地だなと思います。
私のキャリアは、端から見ると一貫性がないように映るかもしれません。脳科学の研究者を目指し、コンサルに入り、リクルートでアプリを作り、教育事業を手伝い、古い家をDIYで直し、そして住宅会社に入った。でも自分のなかでは、「複雑なものづくりを、いろいろな人と協力して形にする」という軸はずっと同じです。
アーケンで家を建てたいと思ってくれる建て主さまが、なんとなくこういう家がいいな、と思っているものを汲み取りつつプランを考え、提案し、打合せを重ね、大工さんや職人さんの技術と経験で実現していく。コンサルで鍛えた分析力、リクルートで培ったプロジェクトマネジメント、教育の現場で磨いたコーチング。過去に経験した異なる分野の経験が、ここに来て全部活きているようにも思います。
学びや経験が全て活きる住宅建築の世界
建築は覚えることが果てしなく広い世界です。材料、設備、構造、法規。常に新しいことを調べ、勉強し、それが目の前の家づくりに活かされる。自分の知識・経験によって、提案できる家の質が全然変わってくる。
完成した商品を売る仕事とは違って、これほど複雑で、お客様から職人さんまで多様な方々が関わり双方向の思いを受け止めながら進めることができる仕事。お客様の要望を叶え、満足いただけるように頑張っていきたい。私にとって、この面白さは、まだ始まったばかりです。
